グアム:戦後81年、日本から解放されても軍事拠点のまま

過去500年間、グアムは外国人により支配されてきた。最初はスペイン、そしてアメリカ。1941年日本帝国がパールハーバー奇襲直後から、1944年7月に多くの死傷者を出した激戦「Battle of Guam」の末、米軍が奪回するまでこの島を占領した。その3年間、日本軍は、グアム先住民(マリアナ諸島の先住民チャモロ族)の文化を消し去ろうと、彼らの言語も禁止。さらに戦況が悪化すると、日本兵士は彼らを奴隷化、虐待、殺略まで行った。学校で「彼ら(先住民)は米軍により救われた」と習うという。毎年7月の解放の日にはパレードが行われる。

戦後80年以上経った今も、グアムの1/3は米軍基地だ。第2次大戦の爪あとは、今も島のあちこちに残る。最もアジアに近い米国領は、「アメリカの槍先」として重要な軍事拠点。戦後学校では、1970年まで再びチョモロ語が禁じられ、英語が押し付けられた。島民の多くが米軍関連の仕事に就いているが、よい職は少なく、チョモロ系島民の多くは仕事を求めて、米国本土に移り住む。年配の住民は、「日本占領下とは比較にならないものの、米国にも搾取されてきた」と言う。戦後、住民の半数にあたる1万1000のチャモロが米軍に土地を奪われた。集団訴訟の結果、1980年に徴用された土地に対する賠償が認められたが、十分なものではなかった。現在、島民半数以上が外国生まれで、チョモロは1/3、すでに少数派となっている。

81 years later, the Battle of Guam still resonates there (NPR)

Editor's note日本人の多くにとって観光地というイメージのグアムですが、日本軍が去っても、米軍の支配下が続くという沖縄の戦中、戦後と似た歴史を辿ったようですね。